眠い&忙しい ふとサポってナンだろね

2時間しか寝てない上に、毎月1日は忙しいのです。
でも昨日のことを引きずり仕事に集中できません。やばいね。


ならば吐き出してしまえ!とばかりにカキコ。


いわゆるサポーター論については、今までトラブルなどがあるごとに考えさせられ、
そのときの状況、そして結果などを含め、その都度いろいろと思うところはありました。


今回騒動の中心である、いわゆるコアサポ。一般的には熱心なとか、中心的なサポーター
と言う事でしょう。歴史的にみても、古くからサポートし続けている人も多い。


自分もサッカーがもともと好きですし、電力時代に試合を見始め、Jリーグを目指す
ってんでワキワキしながら成長をなまぬるく見守ってきました。
流石に今ほど毎試合見に行く程の状況ではありませんでしたが、ブランメルを県サカ場や
宮城野原に見にいき、その時々のチームとともに歩んできました。


そしてコアな人々ですが、まぁ熱心な人は飛びつくのも早いですし、行動力もあります。
彼らのモチベはいわゆるやりたいことをまずやる!というものなのでしょう。
良く言えば純粋。悪く言えば自己満足的?なそのパワーが一般サポにはまねの出来ない
行動力につながっている事は理解できます。


育成厨の自分は、よく下部リーグのチームが上を目指している状況をみるのが好きで
少人数のサポ集団などを見て、思わずニヤニヤ(良い意味でね)してしまいますが、
純粋なコアサポの原点といえるのではないでしょうか。


自己犠牲が伴うその行動力はリスペクトされるべきものですし、一般サポはそこに
同調してサポ全体のまとまりが自然とうまれてくる。もちろんコアサポの応援普及の
努力も忘れてはいけませんし、サポがまたサポを呼び込み大きなうねりとなっていく。
また自分の好きなクラブを応援する。おらが町のクラブを応援したい。好きなクラブの
為に何か協力したい。などなど自然な感情です。


ここで観客とサポの違いってなんだろう。
観客は純粋にスポーツ観戦として楽しむ気持ち。
サポはその名の通りクラブを勝たせるためになにか協力したい気持ち。
このどちらが強いかということでしょうか。LIKE or LOVE?


愛はすばらしいものです。ですが時として恐ろしいのですよ・・・。ガクブル
そうこうしているうちにある勘違いが生じる。


愛と憎しみは紙一重・・・。昼メロのネタになりそうw


本来中心にあるべきクラブの存在が、いつの間にか変わっちゃうんです。
まるで、生まれたばかりの赤ちゃんの時はどんな事も許せるのに、大きくなるにつれ
思い通りに行かなくなり、ヒステリックを起こす親の様な・・・。
「なんで出来ないの!」「なんで言う事をきいてくれないの!」
まさしく子供を私物化している親。そしてそれが憎しみへと変わっていく・・・。
怖いですねぇ・・・。
ちょっと例えが横道にそれそうですが、自分を含め思い当たるところがあると思います。


さて、このように個人の感情の変化に加え、サポの集団化における変化もでてきます。
ただでさえ曖昧なつながりの集団という形が今回のようなトラブル時には問題として
表面化して見えてきますね。
他クラブごと色々なサポ集団の特徴があるようですが、仙台の場合ガチガチの組織
ではない事でのメリットとサポ組織の形が見えないことによるデメリットの両面が
あると思います。


J1昇格を決めた年、J1時代に爆発的にその数が増えた仙台サポ。チケも取りにくい。
そんな中でも熱心に並ぶサポーター。「自分は仙台を支えているんだ!」という
自己満足感。そして数が増えることでその中でも自分は誰よりも仙台を愛しているんだ
という優越感。それがステイタス化してきます。
そしてそれを求めいわゆるなんちゃってサポが増え始めそれが表に出てくる。
人間は何かに属したい欲求がありますし、「コアサポ」というステイタスを求め
人が集まる。これも大きな勘違いです。


もちろん人それぞれいろんな楽しみ方がありますし、サポートの仕方やスタンスも
人それぞれです。ですが如何せん人数か増えてくると統制が利かなくなってきます。
そんな中いわゆるコアの人たちは応援スタイルを試行錯誤しながら現在のスタイルを確立
してきましたし、その努力はリスペクトされるべきものですし、共感しうるものでした。


先にも述べたように、彼らのモチベは「自分がやりたいから」が原点です。
しかし中心的な存在になるにつれ、彼らへのリスペクトがいつの間にか期待に変わります。
これはしょうがない事ですし、逃れられない宿命でしょう。
でも、今の仙台のコアはどうも違うらしい。過去にトラブったときのコアのコメントなど
を見ると、「自分達のやりたいようにやってるし、頼まれてやってるわけでもない。
だからそれぞれが自己責任で・・・」。確かにごもっとも。
大人が自分の意思で行動しているのですから当たり前といえば当たり前。
妙な期待をされるほうがありがた迷惑かも知れません。彼らの喜びは感謝されること
じゃないのですから。


でも周りはやっぱり何かを求める。これがギャップにつながってるんでしょう。
彼らの自分達が楽しいものという感覚が時として自慰的な物、周りから受け入れにくい
物として出てきてしまい、今回の弾幕の内容や、応援中の奇行にも現れてくる。
そしていわゆる上で述べたいわゆる「コアサポ論理」を責任逃れの言い訳に利用
したりと、サポートするはずの本来の姿がいつの間にか要求する集団になっている。
このギャップが批判をあつめてしまっているきがする。


もちろん今回のものの投げ入れは個人の衝動的なものですし、コア全体を攻めるべき
ものではないとおもいますが、彼らの自己満的な行動では限界が来ていることも事実です。
自己欲求を満たす楽しみかたもあるとは思いますが、ルールがあるなかで、しかも
中心的な存在になっている以上はそれ相応の責任が求められます。
努力で勝ち得た権利?もあるでしょうがでも義務も果たさないと。


今回の事を機に、いいかげんサポも学習して変化していかなければなりませんね。
本来のクラブの存在位置を見直し、自分達の立ち居地も見直す。
仙台はJ1を体験してしまった以上もう夢を見ずにはいられません。
下に居ても喜びは得られないのです。(得られる人もいると思うけど)
でも現実は目の前に存在する。このギャップにどう向かい合っていくのか。


みんな違ったスタンスだとはおもいますが、自分としては、とりあえずシーズンの
残りは目の前の試合、プレー一つ一つに心を熱くし応援していこうとおもいます。
可能性がゼロになるまで信じるほど私の心は強くないのでね。


なんかだらだらまとまりの無い事をべらべら書いちゃった。
自分のたわごとです。許してね。おっと仕事しないと。