無意識(ナチュラル)な動作

体を動かすという事はどういうことか。踊りの練習でふと考えた。
体は有意識と無意識で動く。
有意識とは、頭で考えて動作をコントロールする事。
例えばキーボードで文字を入力する場合も、手をキーボードにのせ
キーを打つわけだが、慣れない頃は

ホームポジションはここだったなぁ。

Vはここで、Eはここ、Gはここで、Aは端っこ。「VEGA」って打てた!

と言うように考えながらキーの位置を目で捉え、指をその場所にもって行き
押して文字を確認するという全ての動作を考えて感じながら作業をする。

ここで人間の適応力はすばらしく、それら動作も回数を重ねる事で動作プロセス
が感覚化され無意識化され、動作スピードも格段に上がっていくわけだが、
そこに人それぞれの能力の差がでてくる。
すぐに出来る人。出来るようにはなるが精度・速度が上がらない人。
何度やっても上手に出来ない人。などなど。


この感覚化される工程においてイメージは重要な役割を果たすと考える。
目から入る映像情報はイメージに直結しやすく、完成系をイメージせずには、
正しい動作・高い精度へ進む事は出来ない。イメージは自分の中での感覚と
体の対話である。良いイメージを自分の体と感覚とにどうやって結び付けて
いけば良いか。これはホントに練習で何度も自分自身と対話するしかない。

もちろんコーチからの指導により正しいイメージと正しい動作の指摘など
を受け、自分のイメージと感覚のずれを客観的に見てもらうことは重要なの
だが、コーチの指導もあくまで視覚と言葉によるものである。それを自分の
感覚として自分自身が感覚に対して通訳しなくてはいけない。


これは体を動かす以上、どんな競技でも共通する事。
プロ選手ともなればイメージ力は当然優れているはずだし、自分の感覚との
対話能力も優れているはず。ただ、感覚と体と言うものはかなりいい加減
なもので、正確には答えてくれない。まして相手が居れば状況は常に変化する。
心・技・体を最高の状態で維持し、さらに結びつけて最高のパフォーマンスを
発揮するには、日々地道それぞれを磨き、それぞれとなんども対話をしていく
しかないし、これが練習するということなのだろう。
世の中にはこれらを効率的にできる天才が実際いるんだよねぇ・・・。
それが、天才と凡人の差なのか・・・。凡人は時間をかけて継続するしかない。
そこには忍耐・努力というさらなる才能が必要になるわけだが・・・。


などと分かったような事を書いたが、いままでに見聞きし、教えてもらった
事などを人に伝えるという経験で改めて思い直してみた。